軍艦島アーカイブス

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軍艦島アーカイブス 第2話

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日本を支えた石炭産出

軍艦島アーカイブス第2話ムービー:日本を支えた石炭産出

第2話「日本を支えた石炭産出」

近代化と石炭

近代化される以前の日本では、石炭は製塩の燃料などとして用いられる程度で採掘も限定的だった。炭鉱開発が日本各地で急速に進んだのは、明治期の産業革命からである。製鉄原料や蒸気機関の燃料として、石炭は大量に必要とされるようになった。

良質な端島の石炭はおもに八幡製鉄所の製鉄原料炭として使われたという。石炭は端島の桟橋に着いた運搬船にそのまま積載された。日本の近代化が進むにつれ採炭量は増加し、そのための鉱員も多数必要になった。端島は増加する鉱員とその家族が居住できるよう開発されていき、軍艦島と呼ばれる姿に変貌していった。

戦中戦後における端島の役割

端島の出炭量がピークを迎えるころ、太平洋戦争がはじまった。戦時中の貴重な資源供給のために端島が担った役割は大きかった。戦火が激しくなると労働時間制限が廃止され、坑内勤務時間が12時間を超えることもあったという。

戦後復興期においても石炭は貴重かつ重要な資源であり、基幹産業として国から支援された。全国的に食料と物資が極端に不足していた終戦直後にあっても、端島には優先して食料配給が行われ、鉱員の給与水準も高く維持されたという。その後のテレビ・洗濯機・冷蔵庫などの家電製品も、全国にさきがけて普及したといわれる。日本を支える石炭産出のため、端島は手厚い待遇を受けていた。

過酷な採掘現場

一方で労働環境は過酷であった。地底の坑道は蒸し風呂のように熱く、炭塵が充満した。戦後、伊藤千行氏が撮影した写真には当時のその様子が収められている。トロッコやリフトを乗り継いで採炭現場まで向かう人々の表情には特有の緊張感があり、安全祈願のためのしめ縄がそれをいっそう際立たせている。トロッコを押す人の腰には重いバッテリーが着けられており、現場の唯一の明かりとなるヘッドランプを点した。

無事作業を終え、坑内から上がった人々はまず浴場へむかう。そこには2つの浴槽があり、はじめの浴槽でまず炭塵を洗い落とした。そのためこの湯船は真っ黒で、次の普通の浴槽にはきれいに炭塵を洗い流したあとにようやく入ることができたという。その後、「端島銀座」を通って帰宅する人々が着るシャツは、浴槽とは対照的に真っ白に輝いていた。

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