エネルギー革命の波に乗り遅れた日本の石炭産業は衰退の一途を辿り、軍艦島もその例外ではなかった。1974年、ついに閉山が決定され、島民たちは故郷を離れることとなった。活気と熱気に満ち溢れていた軍艦島は、静寂に包まれた無人の島へと変貌を遂げた。
閉山決定からわずか数ヶ月後、島民たちは連絡船に乗り込み、軍艦島を後にした。甲板の上には、別れを惜しむ人々の顔が浮かび、名残惜しそうに島を見つめる姿があった。短い期間では、就職活動や引っ越し作業に追われ、離散の感傷に浸る間もなかった人々が、最後の別れを惜しむために集まっていた。
無人となった軍艦島には、そこに生活が存在した証が、様々な形で残されていた。映画館には、隣接する寺の仏具などが梱包されたまま放置されていた。住居の中には、きれいに清掃され、家財道具が整理されたままの部屋もあった。戸口には、引っ越し先の住所とともに、名残を惜しむ言葉や、挨拶できなかった知人や隣人への置き手紙が貼られていた。まるで、そこに暮らしていた人々が、いつか戻ってくる日を待ち望んでいるかのようだった。
無人となった軍艦島は、人の手から離れ、自然の力にさらされることになった。台風による高潮や波浪は、護岸を破壊し、建物を損傷させた。海水による塩害は、鉄筋を腐食させ、コンクリートを脆くした。風雨にさらされた建物は、徐々に劣化し、崩壊が進んだ。しかし、その一方で、自然は新たな生命を育み始めた。コンクリートの隙間からは、草木が生え、緑が広がっていった。島全体が緑に覆われ、かつての姿から変化していった。
軍艦島は、日本の近代化を支えた産業遺産であると同時に、そこで暮らした人々の記憶が刻まれた場所でもある。閉山から長い年月が経った現在、軍艦島は観光地として、多くの人々が訪れるようになった。かつての繁栄と、そこで暮らした人々の生活を伝える貴重な資料として、軍艦島は保存・活用されている。軍艦島の物語は、私たちに多くのことを語りかけている。資源の有限性、環境問題の重要性、そして産業構造の変化が人々の生活に与える影響。栄光と挫折、そして自然の再生。軍艦島は、私たちに未来への教訓を伝え続ける、静かな語り部なのだ。